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yuuの一人芝居

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創作秘話 「更け待ち藤戸」

創作秘話 「更け待ち藤戸」2016/8/10

 この作品を書いたのは私の今住んでいる在所の近くと言う事もあろう。また、鎌倉の時代を作った一つの事件があった、つまり、水島合戦で平家と源氏が戦った古戦場と言う事も関係している。
 広島、水島、児島半島の藤戸の合戦は謡曲の舞台となり「佐々木が憎けりゃ笹までにくい」と言う老婆の嘆きが今でも聞こえてくるというものだ。
 佐々木信綱と対岸に陣引くところの漁師のやりとり、に疑問をもったところからこの物語は始まって書くことにしたという事だ。
 佐々木と漁師の出会い、むしろ漁師が佐々木に浅瀬を教えるために近づいたと言う方が正論のように思えた。
 この合戦があった頃は今の倉敷は寒村で漁師たちが住んでいて自給自足をしていた。平家物語では倉敷は出てこない。
 後にこの合戦の死者を慰める藤戸寺が作られ其の参道に団子屋が屋台の店を出しまんじゅうを売っていた、それが今の倉敷の土産に使われる藤戸饅頭だったという事は有名な話しである。
 さて、ここでは老婆を大して重要視はしなかった。これは作り事としてよりほかに考えられなかったからだ。
 果たして、平家が源氏に負けると言う要素が私には見えなかった。いくら瀬戸の水軍を源氏が味方につけても、源氏は海上の合戦をした事のない軍勢である。平家はもともと瀬戸内海を自分の庭のように行き来していたのだ。清盛は瀬戸の海を自領としていた。平家が敗れたのはなぜ、内部に噴烈が生じていたと言う方が正確なのかも知れない。それは天皇にかわって一介の警護者であった武士が天下を取ると言う事に対しての反対の勢力がうごめいていた、源氏が天下を取ってもそれは武士の政治の始まりを意味していた。荒法師文覚が登場するがたかが坊主になにが出来たであろう。使い走りには役を搔いたのかも知れない、また、以比人親王の命により動いていたとしても源氏にはそんなに利益はもたらさなかったとも思える。
 清盛は白河法王と祇園女御の妹との間に生まれた実子なのである。
 これは西行を書く時に調べ上げている。また、崇徳帝は白河法皇と藤原珠子の間に生まれた子として、後に珠子が入内する鳥羽帝は忌み嫌っていた。言ってみれば清盛と崇徳は腹ちがいの兄弟なのだ。
 複雑に入り組んだ其の関係はあらゆる方向へ拡散していく。西行は清盛とは北面の武士のおりの同輩、崇徳帝とは歌で相照らすなか、西行はただ茫然と時の流れを見ているしかなかった。
 この物語は藤戸の現在を書いた。
 満月ではなく更け待ち月の夜、藤戸は涙を流す、それは息子を殺されたことへの老婆の嘆きではなく、京でなくなった一人の薄幸の人、待賢門院の嘆きとして書いた。待賢門院は白河が寵愛した藤原珠子であり、鳥羽帝に入内しての待賢門院である。
 同じ女の涙としても、其の悲しみは親子のものと、一人の女の煩悩の悲しみ、世の中の不条理に弄ばれて終わる女の哀しみ、それを更け待ちの月になぞらえて引いていく月のはかなさを、それを何時までも見つめ過ぎ去りし其の日の事を思い嘆く一人の女の涙として書いた。
 託したのは砂、其の砂の命と女の命、もろくも崩れる様は全く同質の弱さを見た。
 それは、若い男との出会い、そして別れ、何もかも振り切るように、玄関の鈴に明るく応え出て行く女、
 其の時、舞台のホリゾントは真っ赤に染まり、庭には執念のろうそくが一斉に燃えたつのだ。
 それは女の業火、弄ばれた恨みの怨念の明かり…。


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